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ニューギニア へび日本編 [世の中のこと]
日本でヘビを食べたという記録が残っているかなと思いましたが、
古い時代の本を探すということは、すぐにはできにくい。
ふと手にした、今昔物語集(およそ600年前の文書)の中に、
このような話がありました。
表題 太刀帯の陣で魚を売る女の話(第七部 奇譚 巻31第31話)
京都の詰所に、いつも魚を売りにくる年寄りの女がいたと。
干した魚の切り身。味はたいそうおいしかったそうな。
ある日、野原でその女が怪しげなことをしていたそうな。
女のしていることをみてみると、
ヘビをさばき、4寸(およそ12cm)の大きさにして、
塩につけたのちに干して、それを売っているのをみつけたと
いうものがたりでした。
魚といいながら、塩漬けして干していたら、
その本体が魚かどうかはわからない。
平安時代はともあれ、
今だったら、不当表示違反(景品表示法)、食品衛生法違反だろうか。
南方に出かけるときには、この手の法律は関係しないだろうが、
しっかりと干すことが必要だろうし、
海水からの塩できちんと前処理して、うまみを確保するのもありだろう。
貴重なタンパク質源であることは間違いはなさそう。
一例で総括はできないが、
ヘビの調理法は、この時代に知られていたと思われる。
ヘビは信仰対象などになったりすることがあるので、
物語集の中では奇譚として読み継がれているのだろう。
古い時代の本を探すということは、すぐにはできにくい。
ふと手にした、今昔物語集(およそ600年前の文書)の中に、
このような話がありました。
表題 太刀帯の陣で魚を売る女の話(第七部 奇譚 巻31第31話)
京都の詰所に、いつも魚を売りにくる年寄りの女がいたと。
干した魚の切り身。味はたいそうおいしかったそうな。
ある日、野原でその女が怪しげなことをしていたそうな。
女のしていることをみてみると、
ヘビをさばき、4寸(およそ12cm)の大きさにして、
塩につけたのちに干して、それを売っているのをみつけたと
いうものがたりでした。
魚といいながら、塩漬けして干していたら、
その本体が魚かどうかはわからない。
平安時代はともあれ、
今だったら、不当表示違反(景品表示法)、食品衛生法違反だろうか。
南方に出かけるときには、この手の法律は関係しないだろうが、
しっかりと干すことが必要だろうし、
海水からの塩できちんと前処理して、うまみを確保するのもありだろう。
貴重なタンパク質源であることは間違いはなさそう。
一例で総括はできないが、
ヘビの調理法は、この時代に知られていたと思われる。
ヘビは信仰対象などになったりすることがあるので、
物語集の中では奇譚として読み継がれているのだろう。
ニューギニア腹一杯その後 [世の中のこと]
飢餓状態から解放された場合のことも気になったが、
戦記には、「戦地から戻り、白米入りのイモ粥とはいえ、
日々の食事を確保し得たことで、日増しに健康な体に戻ってきた、」とある。
しかし、これにも秘密があった。
「『衰弱した体に腹いっぱいの食物を食ったら、必ず多食により死亡するー』と。
厳重に軍医から注意されて、多食をこらえ、自制し得たことと、
家族の労であったろう。」と綴る。
米があるからといって、そんな腹いっぱい食べることを考えずに、
適量の食事量に制限しつつ、日々の生活することを臨む。
秀吉の事例でも、兵糧攻めをした後、降伏した城主たちの首を手にして、城を開放するが、秀吉が同情して、飢餓にあった人々に腹一杯の飯を食べさせたところ、ほとんどが頓死したとある。
飢餓の後は、じっくりゆっくり体を戻す必要がある。
京都比叡山で千日回峰行という修行がある。
その中で、無動寺明王堂で足かけ9日間の断食・断水・不眠・不臥の四無行を行う。
何も食べていないから、明けた日に、腹一杯たべるかといえば、そうではない。
朴木の葉のお茶をゆっくりとすすぐ。
そう、飢餓状態にある胃腸をゆっくりと普通の状態にまで戻していく。
絶食直後は、唾液もなく、胃液などの水分も枯れてきているわけで、そこにおかゆにせよ、たらふくいれても消化ができるはずもない。軍医の指摘は正しい内容と思う。
衰弱し、食べられず、腹一杯の夢もつきたころに、苦しいのは、排便だと言う。
出すべきものが出ない。まして、薬などあるはずもない。
そこらにある草を食べて、下痢にする、といっても、体に水分がない。
排泄する力がない。
苦しがる同僚の肛門から、手指で摘便をすることで、その苦しさから解放させて、
やすらかになって逝ったという記述も、心打たれるものがある。
敵国軍隊には、こういう事例はどうだったのか。
戦記には、「戦地から戻り、白米入りのイモ粥とはいえ、
日々の食事を確保し得たことで、日増しに健康な体に戻ってきた、」とある。
しかし、これにも秘密があった。
「『衰弱した体に腹いっぱいの食物を食ったら、必ず多食により死亡するー』と。
厳重に軍医から注意されて、多食をこらえ、自制し得たことと、
家族の労であったろう。」と綴る。
米があるからといって、そんな腹いっぱい食べることを考えずに、
適量の食事量に制限しつつ、日々の生活することを臨む。
秀吉の事例でも、兵糧攻めをした後、降伏した城主たちの首を手にして、城を開放するが、秀吉が同情して、飢餓にあった人々に腹一杯の飯を食べさせたところ、ほとんどが頓死したとある。
飢餓の後は、じっくりゆっくり体を戻す必要がある。
京都比叡山で千日回峰行という修行がある。
その中で、無動寺明王堂で足かけ9日間の断食・断水・不眠・不臥の四無行を行う。
何も食べていないから、明けた日に、腹一杯たべるかといえば、そうではない。
朴木の葉のお茶をゆっくりとすすぐ。
そう、飢餓状態にある胃腸をゆっくりと普通の状態にまで戻していく。
絶食直後は、唾液もなく、胃液などの水分も枯れてきているわけで、そこにおかゆにせよ、たらふくいれても消化ができるはずもない。軍医の指摘は正しい内容と思う。
衰弱し、食べられず、腹一杯の夢もつきたころに、苦しいのは、排便だと言う。
出すべきものが出ない。まして、薬などあるはずもない。
そこらにある草を食べて、下痢にする、といっても、体に水分がない。
排泄する力がない。
苦しがる同僚の肛門から、手指で摘便をすることで、その苦しさから解放させて、
やすらかになって逝ったという記述も、心打たれるものがある。
敵国軍隊には、こういう事例はどうだったのか。
ニューギニア 腹いっぱい [世の中のこと]
ニューギニアで食べるタンパク質素材が、ワニが代表的だと思いました。
同じ時期にフィリピンに出かけた人たちも、同じような食材を現地調達するように、
心がけていたようです。
ドンコ(アイナメの種類)、エビ、カニ、おたまじゃくし、うなぎ、ニナ、タニシ、トカゲ、オオヤモリ、オオトカゲ、蛇、蛙、カタツムリ、ナメクジ、猿、インコなどの鳥、野猪、鹿、犬、猫
ねずみ、こがねむし、ばった、蜂の子、コウロギ、カミキリの幼虫、蝉など。
フィリピンの方が、種類が多いようです。調理方法も、丸焼きが主体。
ニューギニアでの食用に集めた昆虫は、ゲンゴロウ、トンボを上げています。
畑に使う適する大地も探していたようであり、現地人の畑からさつまいもをとってきて、それを開墾した畑に植えていた。収穫までには時間がかかり、相手の食料になったこともあるようだ。
中国の史記、十八史略を紐解くと、三国志では、蕭何が劉邦を支え、漢の創立・建設に貢献したことが紹介されている。
たびたびの戦にあたり、後方部隊にいる蕭何は、「巴・蜀の地」(今の四川省、重慶地域付近と成都地域付近)で税を徴収し、これを元にして、人民に鎮撫(ちんぶ)諭告(ゆこく)、いわば、説明を尽くしたうえで、軍の糧秣を確保した。
劉邦が軍の態勢に支障があるとみるや、兵站を前線に送るとともに、兵士も順次戦地に送り、大きな功績を上げたとある。獨逸のクラウゼッツでも食料についてのコメントはあるが、精神面が主体的。
今後、南方へ出かけるにあたり、原則、自給自足とするためには、兵站補給ルートの確立を近代の科学で構築し、支障のないように考えることになるだろう。
ジャングルの中に隠れるにしても、最近では、上空からドローンで監視ができるし、ドローンから溶けた高温の金属液を落とし、周囲を焼け野原にしてしまうような技術も開発されている。
木材輸出で、森林伐採で各地がはげ山になり、焼畑をするスペースもなくなりつつある今、
ニューギニアの位置付けを過去のようなものとして扱うのかどうかは、議論の求められるところだろう。食料確保の基地とするには、より上位の概念で議論するべきだろう。
日本の戦国時代で飢餓の事例がある。
秀吉による因幡国鳥取郡の籠城責めで、城にいる人たちの食糧を枯渇させていた。
人々は、食べるものがないために、人肉を選択した。
逃げようとして、鉄砲で撃たれた直後の生身の手足を引き裂いて食べたようですし、
人の首が奪い合いだった。理由は、脳みそがうまかったと。
ニューギニアでも人肉を、現地人に食べ方を教えてもらったようですが、
国内でも実績があるから、調査しておくにこしたことはない。
同じ時期にフィリピンに出かけた人たちも、同じような食材を現地調達するように、
心がけていたようです。
ドンコ(アイナメの種類)、エビ、カニ、おたまじゃくし、うなぎ、ニナ、タニシ、トカゲ、オオヤモリ、オオトカゲ、蛇、蛙、カタツムリ、ナメクジ、猿、インコなどの鳥、野猪、鹿、犬、猫
ねずみ、こがねむし、ばった、蜂の子、コウロギ、カミキリの幼虫、蝉など。
フィリピンの方が、種類が多いようです。調理方法も、丸焼きが主体。
ニューギニアでの食用に集めた昆虫は、ゲンゴロウ、トンボを上げています。
畑に使う適する大地も探していたようであり、現地人の畑からさつまいもをとってきて、それを開墾した畑に植えていた。収穫までには時間がかかり、相手の食料になったこともあるようだ。
中国の史記、十八史略を紐解くと、三国志では、蕭何が劉邦を支え、漢の創立・建設に貢献したことが紹介されている。
たびたびの戦にあたり、後方部隊にいる蕭何は、「巴・蜀の地」(今の四川省、重慶地域付近と成都地域付近)で税を徴収し、これを元にして、人民に鎮撫(ちんぶ)諭告(ゆこく)、いわば、説明を尽くしたうえで、軍の糧秣を確保した。
劉邦が軍の態勢に支障があるとみるや、兵站を前線に送るとともに、兵士も順次戦地に送り、大きな功績を上げたとある。獨逸のクラウゼッツでも食料についてのコメントはあるが、精神面が主体的。
今後、南方へ出かけるにあたり、原則、自給自足とするためには、兵站補給ルートの確立を近代の科学で構築し、支障のないように考えることになるだろう。
ジャングルの中に隠れるにしても、最近では、上空からドローンで監視ができるし、ドローンから溶けた高温の金属液を落とし、周囲を焼け野原にしてしまうような技術も開発されている。
木材輸出で、森林伐採で各地がはげ山になり、焼畑をするスペースもなくなりつつある今、
ニューギニアの位置付けを過去のようなものとして扱うのかどうかは、議論の求められるところだろう。食料確保の基地とするには、より上位の概念で議論するべきだろう。
日本の戦国時代で飢餓の事例がある。
秀吉による因幡国鳥取郡の籠城責めで、城にいる人たちの食糧を枯渇させていた。
人々は、食べるものがないために、人肉を選択した。
逃げようとして、鉄砲で撃たれた直後の生身の手足を引き裂いて食べたようですし、
人の首が奪い合いだった。理由は、脳みそがうまかったと。
ニューギニアでも人肉を、現地人に食べ方を教えてもらったようですが、
国内でも実績があるから、調査しておくにこしたことはない。
ニューギニアシマソケイ [世の中のこと]
ニューギニアでは「敵との戦いより、飢えと病魔との闘い」という言葉の中で、
飢えは、主食になる素材をジャングルの中からなんとか見つけ出した。
栄養失調は、さらに必須の成分も確保しないことには、治りにくい。
「病魔」は、できるうる範囲の予防策だけにはなる。
マラリア、赤痢などの感染は、主に蚊が介在する。
マラリアは、当時はキニーネが確保ができればいいが、
代用薬を調達するように求められていた。
日本軍では、キニーネがなくなったら、シマソケイという植物を探したという。
シマソケイは、英国の古い文書に、樹皮のアルカロイドがキニーネの代用になると記載があり、
その知識を応用したものだという。当時はこの内容を根拠にした指示だったのだろう。
「マラリア予防薬シマソケイ丸(薬):
ニューギニアで自生するシマソケイと称する喬木の樹皮を粉砕して、エキスを作り、タピオカ澱粉を合わせ、クレオソートを防腐剤として、丸剤を作る。」
ネット情報では、効果なしというが、当時の戦場での効果はどうだったのだろう。
丸剤を作る上で、足踏み式の粉砕臼が必要だったとも書かれているが、確かに
技術的に、荒い粉だと、丸い形にはなりにくいかもしれない。
戦後日本でもマラリアの流行があったのは、復員した人たちからの感染だったという。
アメリカ連合軍の当時の対応は、マラリア特効薬アテブリンを大量に兵士に提供したという。
アメリカの衛生兵を狙って、特効薬を奪い取りに行くという行為も行われていたようだ。
今後、南方に展開することを考えると、国産はなく、この分野での準備も必要かもしれない。
戦後で開発が進められたキニーネの代用品は
メフロキン(品名メファキン)、
アトバコン・プログアニル塩(品名マラロン)、
アルテメテル・ルメファントリン(品名リアメット)の3種類がリストアップされている。
実際的な利用については、アルテメテルが、サハラ砂漠地域で用いられており、
マラリアによる死亡者が減少しているという。
この薬nの原料に植物は、中国名で青蒿素と言われている。
中国の歴史を見ていると、古くは炎帝神農が国をおさめた。
神農は、人々に医術と農耕の技術、具体的には民衆の生活を支えるために、
穀物などの耕作、収穫、貯蔵などの技術を教えたという。
神農は、百草の性質を知るために、これらを食べて、その効果を見たという。漢方薬の起源だ。
南方のニューギニアでこれと同じことを今からでも行うとなると、
植物百科事典を持参し、事典に書き込みもしながら確認する必要がある。
飢えは、主食になる素材をジャングルの中からなんとか見つけ出した。
栄養失調は、さらに必須の成分も確保しないことには、治りにくい。
「病魔」は、できるうる範囲の予防策だけにはなる。
マラリア、赤痢などの感染は、主に蚊が介在する。
マラリアは、当時はキニーネが確保ができればいいが、
代用薬を調達するように求められていた。
日本軍では、キニーネがなくなったら、シマソケイという植物を探したという。
シマソケイは、英国の古い文書に、樹皮のアルカロイドがキニーネの代用になると記載があり、
その知識を応用したものだという。当時はこの内容を根拠にした指示だったのだろう。
「マラリア予防薬シマソケイ丸(薬):
ニューギニアで自生するシマソケイと称する喬木の樹皮を粉砕して、エキスを作り、タピオカ澱粉を合わせ、クレオソートを防腐剤として、丸剤を作る。」
ネット情報では、効果なしというが、当時の戦場での効果はどうだったのだろう。
丸剤を作る上で、足踏み式の粉砕臼が必要だったとも書かれているが、確かに
技術的に、荒い粉だと、丸い形にはなりにくいかもしれない。
戦後日本でもマラリアの流行があったのは、復員した人たちからの感染だったという。
アメリカ連合軍の当時の対応は、マラリア特効薬アテブリンを大量に兵士に提供したという。
アメリカの衛生兵を狙って、特効薬を奪い取りに行くという行為も行われていたようだ。
今後、南方に展開することを考えると、国産はなく、この分野での準備も必要かもしれない。
戦後で開発が進められたキニーネの代用品は
メフロキン(品名メファキン)、
アトバコン・プログアニル塩(品名マラロン)、
アルテメテル・ルメファントリン(品名リアメット)の3種類がリストアップされている。
実際的な利用については、アルテメテルが、サハラ砂漠地域で用いられており、
マラリアによる死亡者が減少しているという。
この薬nの原料に植物は、中国名で青蒿素と言われている。
中国の歴史を見ていると、古くは炎帝神農が国をおさめた。
神農は、人々に医術と農耕の技術、具体的には民衆の生活を支えるために、
穀物などの耕作、収穫、貯蔵などの技術を教えたという。
神農は、百草の性質を知るために、これらを食べて、その効果を見たという。漢方薬の起源だ。
南方のニューギニアでこれと同じことを今からでも行うとなると、
植物百科事典を持参し、事典に書き込みもしながら確認する必要がある。
ニューギニアへび [世の中のこと]
ニューギニアの戦地で、タンパク質の摂取を確保するため、
蛇、鰐、蜥蜴、蛙、犬、鼠を食べたという手記の内容に、圧倒されている。
ニューギニアの蛇の種類は、ニューギニアタイパンをはじめ、ベーレンニシキヘビなどの多くの種類が生息している。中でも、タイパンの毒が強いらしい。うかつに近づけないが、知らないということも大切だろうか。
ヘビを見つけ、
一気呵成に、ヘビの頭を落とし、皮をはがし取り、
内臓を取り出した後に、ある程度の大きさにブチぎりにして、
串刺しなどにして焼く。 これは共通な調理方法のようだ。
あるいは、煙突の中に突っ込んで、スモーク蒸しの調理をする。
蛇の骨は細いし、鋭く硬いから、胃腸に刺さらないように気をつけて、
骨を抜き取り、スモークの風味で香ばしく調理できるといいかもしれない。
現地では、直火にあてて、焼き、そのまま食べたと思う。
海の近くであれば、魚も取れるだろうが、内地の戦いでは、そうもいかなかったのだろう。
東南アジアの地域では、蛇の加工調理は比較的定着しているようであるが、
食べられる蛇と食べられない蛇という区別があるかどうかは、わからない。
個人的な経験からいえば、
中国に行った時、メニューとしては、鰐、蛇、蛙、亀、アルマジロを
それぞれ別の機会に食べたことはあるが、
なにせ食べてからの説明だったこともあって、おいしいね、と言いながら、
後でびっくりというものだった。
蛇の中でも、どの種類のものを食したかは、記録には薄い。
亀やアルマジロは、そのままの姿で調理されていたから、わかりやすかった。
でも、今、改めて食べようと言われても、少し手がでない。平時は。
蛇、鰐、蜥蜴、蛙、犬、鼠を食べたという手記の内容に、圧倒されている。
ニューギニアの蛇の種類は、ニューギニアタイパンをはじめ、ベーレンニシキヘビなどの多くの種類が生息している。中でも、タイパンの毒が強いらしい。うかつに近づけないが、知らないということも大切だろうか。
ヘビを見つけ、
一気呵成に、ヘビの頭を落とし、皮をはがし取り、
内臓を取り出した後に、ある程度の大きさにブチぎりにして、
串刺しなどにして焼く。 これは共通な調理方法のようだ。
あるいは、煙突の中に突っ込んで、スモーク蒸しの調理をする。
蛇の骨は細いし、鋭く硬いから、胃腸に刺さらないように気をつけて、
骨を抜き取り、スモークの風味で香ばしく調理できるといいかもしれない。
現地では、直火にあてて、焼き、そのまま食べたと思う。
海の近くであれば、魚も取れるだろうが、内地の戦いでは、そうもいかなかったのだろう。
東南アジアの地域では、蛇の加工調理は比較的定着しているようであるが、
食べられる蛇と食べられない蛇という区別があるかどうかは、わからない。
個人的な経験からいえば、
中国に行った時、メニューとしては、鰐、蛇、蛙、亀、アルマジロを
それぞれ別の機会に食べたことはあるが、
なにせ食べてからの説明だったこともあって、おいしいね、と言いながら、
後でびっくりというものだった。
蛇の中でも、どの種類のものを食したかは、記録には薄い。
亀やアルマジロは、そのままの姿で調理されていたから、わかりやすかった。
でも、今、改めて食べようと言われても、少し手がでない。平時は。
ニューギニアサゴ [世の中のこと]
パプアニューギニアで栄養素の炭水化物は、サゴを食料としている。
戦時記録には「サゴヤシ澱粉を使う。サゴヤシの幹の髄質を、粉砕・水洗・採取する」と。
現地に着いたら、まずはサゴヤシの所在を確認しておく。
現地の人に教えてもらえるようにしたら、いい。
別の方の戦時記録を見ると、現地の方と意思疎通ができていたようだ。
澱粉の取り方は、ヤシの木を倒して、いくつかの丸太にカットする。
カットした丸太をさらに砕いて細かくし、外側ではなく、中心部の方(髄)を水につける。
水に澱粉の粒子が出てくるから、木屑を取り除き、澱粉を集める。
この澱粉を乾燥して、いわば、澱粉の粉を確保できる。
これを水で浸して、加熱すれば、お粥かもしれないが、炭水化物を確保できる。
成分分析によると、ミネラルやビタミン類は含まれていない(含量が低い)ため、
別のもので確保することが必要だろう。
サゴヤシの生育は1年で1.5メートルになるというから、長期に滞在が及ぶ場合には、
収穫するサゴヤシの林を確保する。
水辺に近いところが多いようである。ワニに気をつけながら、栽培と伐採だ。
ちなみに、タピオカとは、原料となる植物の種類が違う。
タピオカは、イモから採取する。
東南アジアでは、焼畑農業により収穫していたというから、
収穫場所の確保は別の意味で考えるべきかもしれない。
炊事のときの煙が、標的を探す目じるしになっていたというから、
煙を無煙にする技術までは、思い付かない。
澱粉の確保は、簡単そうに見えるが、採取に使う水の確保が問題だし、
ヤシの木をカットする機材の確保も念頭に入れるべきものかも。
「ニューギニアでは、敵との戦いより、何倍も恐ろしいの飢えと病魔との闘いでした」と。
マラリア、赤痢などの問題もあるし、食べるものを食べていないと栄養失調になる。
激戦地ガザでポリオ、絶滅したはずのポリオが蔓延する恐れから、ワクチン接種のた目に停戦をしているようだが、現地の事情が簡単にわかるエリアは良いかもしれないが、遠隔地だと予防接種はどう考えても難しいだろう。まずは、アジアで媒介する蚊の対策も必須の課題の一つになる。
戦時記録には「サゴヤシ澱粉を使う。サゴヤシの幹の髄質を、粉砕・水洗・採取する」と。
現地に着いたら、まずはサゴヤシの所在を確認しておく。
現地の人に教えてもらえるようにしたら、いい。
別の方の戦時記録を見ると、現地の方と意思疎通ができていたようだ。
澱粉の取り方は、ヤシの木を倒して、いくつかの丸太にカットする。
カットした丸太をさらに砕いて細かくし、外側ではなく、中心部の方(髄)を水につける。
水に澱粉の粒子が出てくるから、木屑を取り除き、澱粉を集める。
この澱粉を乾燥して、いわば、澱粉の粉を確保できる。
これを水で浸して、加熱すれば、お粥かもしれないが、炭水化物を確保できる。
成分分析によると、ミネラルやビタミン類は含まれていない(含量が低い)ため、
別のもので確保することが必要だろう。
サゴヤシの生育は1年で1.5メートルになるというから、長期に滞在が及ぶ場合には、
収穫するサゴヤシの林を確保する。
水辺に近いところが多いようである。ワニに気をつけながら、栽培と伐採だ。
ちなみに、タピオカとは、原料となる植物の種類が違う。
タピオカは、イモから採取する。
東南アジアでは、焼畑農業により収穫していたというから、
収穫場所の確保は別の意味で考えるべきかもしれない。
炊事のときの煙が、標的を探す目じるしになっていたというから、
煙を無煙にする技術までは、思い付かない。
澱粉の確保は、簡単そうに見えるが、採取に使う水の確保が問題だし、
ヤシの木をカットする機材の確保も念頭に入れるべきものかも。
「ニューギニアでは、敵との戦いより、何倍も恐ろしいの飢えと病魔との闘いでした」と。
マラリア、赤痢などの問題もあるし、食べるものを食べていないと栄養失調になる。
激戦地ガザでポリオ、絶滅したはずのポリオが蔓延する恐れから、ワクチン接種のた目に停戦をしているようだが、現地の事情が簡単にわかるエリアは良いかもしれないが、遠隔地だと予防接種はどう考えても難しいだろう。まずは、アジアで媒介する蚊の対策も必須の課題の一つになる。
ニューギニアワニ [世の中のこと]
市場にはまだお米が見あたらない。だからというわけではないが、
戦時中に、太平洋沖の諸島からインド、中国、東南アジア、朝鮮、ロシアなどの戦地で
軍人として戦い、現地でのありようを経験した人たちの手記を見た。
彼らは、食べ物の確保にとても苦労している姿が描かれている。
ある人の手記には、ニューギニアの戦地(ウエワク)で、
『敵との戦いというより、自分自身との闘いでした。
タンパク質補給のため「動くものは何でも食べよ」と。
蛇、鰐、蜥蜴、蛙、犬、鼠まで食べました。』と記載されている。
タンパク質補給という表記は専門的な表記ではあるが、
やはり、三大栄養素の補給はいかなる事態にあっても、
欠かせないということが理解できる。
ニューギニアの鰐は、ニューギニアワニ(ラージクロコダイル)といい、
広大な植生豊かな淡水沼地に広く生息している。
パプアニューギニアのセピック川地域の現地住民は、ワニを養殖し、
ワニの卵を売って、収入を得ている。
このワニの皮は、柄がおしゃれで、
バッグに加工されて販売されており、日本や中国で人気の商品だという。
肉の方は、たぶんステーキになって、レストランで調理され、
低脂肪高タンパク質の食材として提供されているのだろう。
戦争中は、ワニの背中を槍などで突き刺し、動かなくなったところで、
皮を剥き、肉の部分を焼いて食べたのだろうと推測する。
現地調達を原則とするから、現地の村に入りたいところだろうが、
当時の住民は、ヘッドハンティング、カニバリズムをしていたと記載があるため、
住民との接点は低かったと思う。
どこに行くにしても、食材の知識や現地の習俗風俗の知識は欠かせない。
しかし、動くもの、隠れているものをどう見つけ、とらえ、食材に供するかは課題だ。
ワニを捕まえるとしたら、沼地周辺を歩き、気配を感じたら、準備したもので
捕獲を試みる以外になさそうだ。調理方法は、その次になる。
戦時中に、太平洋沖の諸島からインド、中国、東南アジア、朝鮮、ロシアなどの戦地で
軍人として戦い、現地でのありようを経験した人たちの手記を見た。
彼らは、食べ物の確保にとても苦労している姿が描かれている。
ある人の手記には、ニューギニアの戦地(ウエワク)で、
『敵との戦いというより、自分自身との闘いでした。
タンパク質補給のため「動くものは何でも食べよ」と。
蛇、鰐、蜥蜴、蛙、犬、鼠まで食べました。』と記載されている。
タンパク質補給という表記は専門的な表記ではあるが、
やはり、三大栄養素の補給はいかなる事態にあっても、
欠かせないということが理解できる。
ニューギニアの鰐は、ニューギニアワニ(ラージクロコダイル)といい、
広大な植生豊かな淡水沼地に広く生息している。
パプアニューギニアのセピック川地域の現地住民は、ワニを養殖し、
ワニの卵を売って、収入を得ている。
このワニの皮は、柄がおしゃれで、
バッグに加工されて販売されており、日本や中国で人気の商品だという。
肉の方は、たぶんステーキになって、レストランで調理され、
低脂肪高タンパク質の食材として提供されているのだろう。
戦争中は、ワニの背中を槍などで突き刺し、動かなくなったところで、
皮を剥き、肉の部分を焼いて食べたのだろうと推測する。
現地調達を原則とするから、現地の村に入りたいところだろうが、
当時の住民は、ヘッドハンティング、カニバリズムをしていたと記載があるため、
住民との接点は低かったと思う。
どこに行くにしても、食材の知識や現地の習俗風俗の知識は欠かせない。
しかし、動くもの、隠れているものをどう見つけ、とらえ、食材に供するかは課題だ。
ワニを捕まえるとしたら、沼地周辺を歩き、気配を感じたら、準備したもので
捕獲を試みる以外になさそうだ。調理方法は、その次になる。
ことばの変化 牧野富太郎造物主 [小さなひととき]
○造物主あるを信ずるなかれ (結網子 稿より)
造物主あるを信ずるの徒(やから)は真理のあるところを窺う(うかがう)能わざるものあり。
これ、その理(ことわり)隠れて顕れざるものあれば、その理たる不可思議なるものとし、
皆これを神明作為の説に付会(こじつけ)して、敢えてその理を討せざればなり(討議できなくなる)。
ゆえに物の用を弁ずることは他に明らかなりといえども、心は常に壅塞歪閉(ようそくひっぺい;ふさがれゆがみとざされる)して、理内に暗し。
かくの如くこの徒(やから)は我が植物学の領域内にあって、大いに恥づべき者ならずや。
これこのことを強要すれば、必ず得ることあるも、我の理に通ぜざるところあれば、皆これを神明の秘蘊(ひうん;知ることのできない奥深きこと)に託して、我の不明不通を覆掩修飾(ふくえんしゅうしょく;覆い隠して表面を飾る)すればなり。
牧野富太郎 植物研究雑誌 第1巻 第6号 1917(大正6年)133−137
ようやく漢字かなまじり文にしたものであって、現代語訳を試みれば、
「造物主が創造したと信じている人が、その真理を追求することができないと言える。
これは、その背景となる理由を隠して表に出さないようにし、その理由は不可思議なものとして扱い、すべて神が作ったものとして、こじつけをしてしまえば、決してその理由を皆で話し合いをすることもできなくなってしまう。
それだけに、植物が持つ、その(組織の)用途を弁論したりすることは自然のことであるのは明らかではあるが、気持ちが塞がれ歪んで閉ざされてしまえば、真理を追求することもできない。
このような人が、私たちが関わる植物学の領域内にいるとしたら、それはとても恥ずかしい人物と言えるのではないでしょうか。
ましてや、これを他に強要するようなことがある事実ということも、我々の真理を求める道理に合わないことになり、皆これを知ることができない奥深いことだという言葉に託して、我々の学問の道を不明なもの、道理の通らないことにしてしまって、結果的にすべてを覆い隠して、何か取り繕うようなことになってしまう。こうしたことは決してあってはならない。」
牧野富太郎が「余が年少時代に抱懐せし意見」と表題を与えているが、そのまえがきには、
「この小冊子は私が年少時代に郷国土佐にあって、当時私の頭に思っていた意見を書きつけたもの」として書かれており、植物の不思議を解明する上で、貴重な考え方の基礎となったものと思う。
本論文の最初の「忍耐を要す」は人生の要諦をまとめたことばであって、
牧野富太郎の自伝書を手にしてみると、これもまた人生の奇なるものを感じざるを得ない。
造物主あるを信ずるの徒(やから)は真理のあるところを窺う(うかがう)能わざるものあり。
これ、その理(ことわり)隠れて顕れざるものあれば、その理たる不可思議なるものとし、
皆これを神明作為の説に付会(こじつけ)して、敢えてその理を討せざればなり(討議できなくなる)。
ゆえに物の用を弁ずることは他に明らかなりといえども、心は常に壅塞歪閉(ようそくひっぺい;ふさがれゆがみとざされる)して、理内に暗し。
かくの如くこの徒(やから)は我が植物学の領域内にあって、大いに恥づべき者ならずや。
これこのことを強要すれば、必ず得ることあるも、我の理に通ぜざるところあれば、皆これを神明の秘蘊(ひうん;知ることのできない奥深きこと)に託して、我の不明不通を覆掩修飾(ふくえんしゅうしょく;覆い隠して表面を飾る)すればなり。
牧野富太郎 植物研究雑誌 第1巻 第6号 1917(大正6年)133−137
ようやく漢字かなまじり文にしたものであって、現代語訳を試みれば、
「造物主が創造したと信じている人が、その真理を追求することができないと言える。
これは、その背景となる理由を隠して表に出さないようにし、その理由は不可思議なものとして扱い、すべて神が作ったものとして、こじつけをしてしまえば、決してその理由を皆で話し合いをすることもできなくなってしまう。
それだけに、植物が持つ、その(組織の)用途を弁論したりすることは自然のことであるのは明らかではあるが、気持ちが塞がれ歪んで閉ざされてしまえば、真理を追求することもできない。
このような人が、私たちが関わる植物学の領域内にいるとしたら、それはとても恥ずかしい人物と言えるのではないでしょうか。
ましてや、これを他に強要するようなことがある事実ということも、我々の真理を求める道理に合わないことになり、皆これを知ることができない奥深いことだという言葉に託して、我々の学問の道を不明なもの、道理の通らないことにしてしまって、結果的にすべてを覆い隠して、何か取り繕うようなことになってしまう。こうしたことは決してあってはならない。」
牧野富太郎が「余が年少時代に抱懐せし意見」と表題を与えているが、そのまえがきには、
「この小冊子は私が年少時代に郷国土佐にあって、当時私の頭に思っていた意見を書きつけたもの」として書かれており、植物の不思議を解明する上で、貴重な考え方の基礎となったものと思う。
本論文の最初の「忍耐を要す」は人生の要諦をまとめたことばであって、
牧野富太郎の自伝書を手にしてみると、これもまた人生の奇なるものを感じざるを得ない。
ことばの変化 自助論 [小さなひととき]
牧野富太郎の記述(造物主あるを信ずるなかれ)をきっかけにして、
ともすれば、神がかり、あるいは、天がお造りになった、ということを言われてしまうと、
思考停止となる、気づきの事例があるなあ、と。
自己啓発の本の一つに自助論の中に、切り口はないだろうか。
ごく普通の事例であっても、インスピレーションを誘う。
セレンディピティ(serendipity)かも。
そうだなと思う事例を見るとしたら、
物理学者ヤングの発見の記述だろうか。
ヤングは、「シャボン玉に光線がキラキラ照り映えるのを見て、
光の干渉理論を考え出し」た(56ページ)。彼は真理を見つけた。
サミュエル・スマイルズ著 竹内均訳 自助論 三笠書房 2002 抜粋
普通なら、綺麗だな、で終わってしまう。
呪術の世界なら、シャボン玉が神の祝福にもなるかもしれないし、
パチンと弾けることが、天の怒りになるかもしれない。
なんとも苦労する事例は、ウィリアム・ハーベーの血液の循環の発見だろう(73ページ)。
医師として、科学者として突き止めた真実を認めてもらうのに、
約25年もかかったという事実。。。
血液の循環?そんなはずはないという世間の評価が、彼を苦しめたという。
スマイルズの著書の中には、わずかな時間を使ったなど、日々研鑽に励んだ事例が多い。
執念深く、特定に分野にこだわり続けたチャンスを活かした事例も同様に。
怪しげな、思いつくものを列挙すると、
天動説と地動説。
地球は丸いか、平らか。
地震は巨大なまずが動いた。
雨が降らないのは、天の意思。王は命懸けで祈った。
日食は、天の怒り。卑弥呼も苦労したのかも。
ともすれば、神がかり、あるいは、天がお造りになった、ということを言われてしまうと、
思考停止となる、気づきの事例があるなあ、と。
自己啓発の本の一つに自助論の中に、切り口はないだろうか。
ごく普通の事例であっても、インスピレーションを誘う。
セレンディピティ(serendipity)かも。
そうだなと思う事例を見るとしたら、
物理学者ヤングの発見の記述だろうか。
ヤングは、「シャボン玉に光線がキラキラ照り映えるのを見て、
光の干渉理論を考え出し」た(56ページ)。彼は真理を見つけた。
サミュエル・スマイルズ著 竹内均訳 自助論 三笠書房 2002 抜粋
普通なら、綺麗だな、で終わってしまう。
呪術の世界なら、シャボン玉が神の祝福にもなるかもしれないし、
パチンと弾けることが、天の怒りになるかもしれない。
なんとも苦労する事例は、ウィリアム・ハーベーの血液の循環の発見だろう(73ページ)。
医師として、科学者として突き止めた真実を認めてもらうのに、
約25年もかかったという事実。。。
血液の循環?そんなはずはないという世間の評価が、彼を苦しめたという。
スマイルズの著書の中には、わずかな時間を使ったなど、日々研鑽に励んだ事例が多い。
執念深く、特定に分野にこだわり続けたチャンスを活かした事例も同様に。
怪しげな、思いつくものを列挙すると、
天動説と地動説。
地球は丸いか、平らか。
地震は巨大なまずが動いた。
雨が降らないのは、天の意思。王は命懸けで祈った。
日食は、天の怒り。卑弥呼も苦労したのかも。
ことばの変化 牧野富太郎 [小さなひととき]
赭鞭一撻(しやべんいつたつ) 牧野結網子 稿
高知県、牧野富太郎にゆかりのある高知県立牧野植物園に行った時、
手に入れた牧野富太郎の、いわば、座右の銘が寄せられている文書を得た。
赭鞭一撻(しやべんいつたつ)と題したリーフレットに掲げられる項目は
「忍耐を要す。
精密を要す。
草木の博覧を要す。
書籍の博覧を要す。
植物に関係ある学科は皆学ぶを要す。
洋書を講ずるを要す。」など、15項目が紹介されていた。
大正当時のカタカナで書かれると読みにくいけど。ひらがなにしてみた。
牧野富太郎著 植物研究雑誌 第1巻六号 大正6年(1917年)からの抜粋とのこと。
中でも、最初の「忍耐」も、「書籍の博覧」も、「洋書」も含め、
手元にある書物は一通り通読することを勧められた点は反省することしきり、
「書を家とせずして友とすべし」も、
書の内容を身につけることが自分の身になるだけでなく、
専門分野における常識を持つことの大切さがあることと読んだ。
そして、
「造物主あるを信ずるなかれ」 という文言には、感激せざるを得なかった。
見たもの聞いたもの、手にしたものがすべて
神様、仏様、創造主に信心してしまうことに帰結してしまうと、
真理があることを解明できず、
世の不思議もあれば、それを創造主の行為として、
不思議の発見につながらないという思考停止の点の指摘は考えさせられるものがあった。
植物を例にすれば、なぜ、葉っぱが細長くではなく、丸っこい形状とすれば、
普通の植物と違った相違点を、その違いは、神様、仏様の御心としてしまえば、
なぜそういう変化をその植物が獲得したかの解明ができないという面での指摘はすごいと思う。
高知県、牧野富太郎にゆかりのある高知県立牧野植物園に行った時、
手に入れた牧野富太郎の、いわば、座右の銘が寄せられている文書を得た。
赭鞭一撻(しやべんいつたつ)と題したリーフレットに掲げられる項目は
「忍耐を要す。
精密を要す。
草木の博覧を要す。
書籍の博覧を要す。
植物に関係ある学科は皆学ぶを要す。
洋書を講ずるを要す。」など、15項目が紹介されていた。
大正当時のカタカナで書かれると読みにくいけど。ひらがなにしてみた。
牧野富太郎著 植物研究雑誌 第1巻六号 大正6年(1917年)からの抜粋とのこと。
中でも、最初の「忍耐」も、「書籍の博覧」も、「洋書」も含め、
手元にある書物は一通り通読することを勧められた点は反省することしきり、
「書を家とせずして友とすべし」も、
書の内容を身につけることが自分の身になるだけでなく、
専門分野における常識を持つことの大切さがあることと読んだ。
そして、
「造物主あるを信ずるなかれ」 という文言には、感激せざるを得なかった。
見たもの聞いたもの、手にしたものがすべて
神様、仏様、創造主に信心してしまうことに帰結してしまうと、
真理があることを解明できず、
世の不思議もあれば、それを創造主の行為として、
不思議の発見につながらないという思考停止の点の指摘は考えさせられるものがあった。
植物を例にすれば、なぜ、葉っぱが細長くではなく、丸っこい形状とすれば、
普通の植物と違った相違点を、その違いは、神様、仏様の御心としてしまえば、
なぜそういう変化をその植物が獲得したかの解明ができないという面での指摘はすごいと思う。
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