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ことばの変化 孟子 [まえがきからの啓発]

”読むとは、自己を読むことである。”
加賀栄治 孟子 人と思想  清水書院 1980 はじめにより

古典を開く中で、自分自身が気に入ったフレーズなどがあれば、それを気にとめる。
今の自分がどんなことに関心を寄せているのか、
その本を手にして理由は、それがどこにあるのかを知らせるシグナルのようなものかもしれない。

それゆえに、著者が書かれたことばには、自分という内面を照らし、呼応するものがあるよというメッセージが込められたような気がした。

論語、大学、中庸、孟子といえば、中国古典の四書五経という、四書に当たるものとなる。

孟子の入門書を開いて、孟子の人物も把握する中で、
うっかりというか、気を引いたものがあった。
「孟子開巻第一章 梁惠王章句上」の一節である。

日本語訳でのやりとりは、
「ご老体、はるばる千里の道をも遠しとせずしてやって来たからには、さぞやわが国を利する妙策をおもちでしょうね」
「王さま、どうして利を第一に考えられるのですか。仁義こそが大事ですぞ。」
(50−51ページ)

ついつい、王さまでなくとも、利益、利権などお金や権力にかかることが優先するのが通説かもしれないけれども、古典になる人のことばというのは、すごいものがあるんだなあと、このやりとりには内心がっかりもし、驚き、感心する。

企業でも、社長との面談となれば、それはそれ、わかっているでしょう、が先にくる。
逆に、名刺交換だけだぞ、と念を押されることもある。
仁義を先にされると、なんじゃ、金や利権じゃないんかい、となり、
二度と会えない可能性があると、誰でも考えそうなこと。

いやいや、この本に引用されている「史記」の著者 司馬遷でも、このくだりにくると、
ためいき、いや、「いつも書物をおいて慨嘆せずにはおれない」(51ページ)と、ある。
感じるところが一緒の面があって、少しうれしかった。

しかし、これが「自己を読む」ことなのか?とも。

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ことばの変化 大学・中庸 [まえがきからの啓発]

”けれども、何のためによい成績を取り、めざす学校に入り、希望の職業に就くのか、と
さらにその先の目標を考えるとどうでしょう。
学びは学校の中のものでなく生涯にわたるものです。
「何のために学ぶのか」という問いは、長い時間幅をとって考えていくと、
「何のために生きるのか」という問いに近づいてきます。”
矢羽野隆雄 大学・中庸 ビギナーズクラッシクス中国の古典 角川ソフィア文庫 2016
はじめにより

設問は「我々が学ぶのは一体何のためでしょうか。」という問いに答える文を拾い上げた。
納得してしまう点は、「その先の目標を考える」ことが抜け落ちてしまう点でもあるし、
このことは、引いては、「何のために生きているのか」という根本の問いかけに
自分が気がついていないのかもしれない。そのこと自身に気づく。

古典を手にするのは、自分探しのためであるのかもしれないし、
自分の目標を設定するための指針としてなのかもしれない。
しかし、答えはまだない。

「大学 意を誠にするとは ー 伝の第六章」の日本文での説明で、
「善い行いができず悪いことをしてしまうのは、
往々にして「何が善か、何が悪か」をわきまえていないのではなく、
善いと知りながらできず、悪いと分かっていながら
してしまうのではないでしょうか。」(77ページ)とあることばは、
何かにつけて考えさせられる。

また、本文の「中庸」の説明で、
「素して行う ー 今いる場所で生きる(第十四章)
君子は其の位に素して行い、其の外を願わず。
(本文の訳:君子はいま自分が身を置いている立場・境遇に応じて(なすべきことを)行い、
その外(の境遇・立場)を願うことはない。)(190−191ページ)」

これだけ、人生を迷い迷いすると、自分を君子とは思わないが、悪いことは別とし、
偶然にせよ、自分で選んだにしても、他から与えられたにせよ、その経緯にかかわらず、
今いる、その立場で、なすべきことを行う、とする心構えにしなさい。
このことばを受け止めたのは、短い時間の中でもありがたく響くものだ。

「真理は常に簡単なものであり、身近なところにあると信ずる。」
宇野哲人 大学 講談社学術文庫 1983 はじめにより

別の「大学」の著者によることばとなるが、ハッと気付かされるものがある。
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