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ことばの変化 牧野富太郎造物主 [小さなひととき]

○造物主あるを信ずるなかれ (結網子 稿より)
造物主あるを信ずるの徒(やから)は真理のあるところを窺う(うかがう)能わざるものあり。
これ、その理(ことわり)隠れて顕れざるものあれば、その理たる不可思議なるものとし、
皆これを神明作為の説に付会(こじつけ)して、敢えてその理を討せざればなり(討議できなくなる)。
ゆえに物の用を弁ずることは他に明らかなりといえども、心は常に壅塞歪閉(ようそくひっぺい;ふさがれゆがみとざされる)して、理内に暗し。
かくの如くこの徒(やから)は我が植物学の領域内にあって、大いに恥づべき者ならずや。
これこのことを強要すれば、必ず得ることあるも、我の理に通ぜざるところあれば、皆これを神明の秘蘊(ひうん;知ることのできない奥深きこと)に託して、我の不明不通を覆掩修飾(ふくえんしゅうしょく;覆い隠して表面を飾る)すればなり。
牧野富太郎 植物研究雑誌 第1巻 第6号 1917(大正6年)133−137

ようやく漢字かなまじり文にしたものであって、現代語訳を試みれば、

「造物主が創造したと信じている人が、その真理を追求することができないと言える。
これは、その背景となる理由を隠して表に出さないようにし、その理由は不可思議なものとして扱い、すべて神が作ったものとして、こじつけをしてしまえば、決してその理由を皆で話し合いをすることもできなくなってしまう。
それだけに、植物が持つ、その(組織の)用途を弁論したりすることは自然のことであるのは明らかではあるが、気持ちが塞がれ歪んで閉ざされてしまえば、真理を追求することもできない。

このような人が、私たちが関わる植物学の領域内にいるとしたら、それはとても恥ずかしい人物と言えるのではないでしょうか。
ましてや、これを他に強要するようなことがある事実ということも、我々の真理を求める道理に合わないことになり、皆これを知ることができない奥深いことだという言葉に託して、我々の学問の道を不明なもの、道理の通らないことにしてしまって、結果的にすべてを覆い隠して、何か取り繕うようなことになってしまう。こうしたことは決してあってはならない。」

牧野富太郎が「余が年少時代に抱懐せし意見」と表題を与えているが、そのまえがきには、
「この小冊子は私が年少時代に郷国土佐にあって、当時私の頭に思っていた意見を書きつけたもの」として書かれており、植物の不思議を解明する上で、貴重な考え方の基礎となったものと思う。
本論文の最初の「忍耐を要す」は人生の要諦をまとめたことばであって、
牧野富太郎の自伝書を手にしてみると、これもまた人生の奇なるものを感じざるを得ない。

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ことばの変化 自助論 [小さなひととき]

牧野富太郎の記述(造物主あるを信ずるなかれ)をきっかけにして、
ともすれば、神がかり、あるいは、天がお造りになった、ということを言われてしまうと、
思考停止となる、気づきの事例があるなあ、と。

自己啓発の本の一つに自助論の中に、切り口はないだろうか。
ごく普通の事例であっても、インスピレーションを誘う。
セレンディピティ(serendipity)かも。
そうだなと思う事例を見るとしたら、
物理学者ヤングの発見の記述だろうか。
ヤングは、「シャボン玉に光線がキラキラ照り映えるのを見て、
光の干渉理論を考え出し」た(56ページ)。彼は真理を見つけた。
サミュエル・スマイルズ著 竹内均訳 自助論 三笠書房 2002 抜粋

普通なら、綺麗だな、で終わってしまう。
呪術の世界なら、シャボン玉が神の祝福にもなるかもしれないし、
パチンと弾けることが、天の怒りになるかもしれない。

なんとも苦労する事例は、ウィリアム・ハーベーの血液の循環の発見だろう(73ページ)。
医師として、科学者として突き止めた真実を認めてもらうのに、
約25年もかかったという事実。。。
血液の循環?そんなはずはないという世間の評価が、彼を苦しめたという。

スマイルズの著書の中には、わずかな時間を使ったなど、日々研鑽に励んだ事例が多い。
執念深く、特定に分野にこだわり続けたチャンスを活かした事例も同様に。
怪しげな、思いつくものを列挙すると、
天動説と地動説。
地球は丸いか、平らか。
地震は巨大なまずが動いた。
雨が降らないのは、天の意思。王は命懸けで祈った。
日食は、天の怒り。卑弥呼も苦労したのかも。

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ことばの変化 牧野富太郎 [小さなひととき]

赭鞭一撻(しやべんいつたつ) 牧野結網子 稿

高知県、牧野富太郎にゆかりのある高知県立牧野植物園に行った時、
手に入れた牧野富太郎の、いわば、座右の銘が寄せられている文書を得た。

赭鞭一撻(しやべんいつたつ)と題したリーフレットに掲げられる項目は
「忍耐を要す。
 精密を要す。
 草木の博覧を要す。
 書籍の博覧を要す。
 植物に関係ある学科は皆学ぶを要す。
 洋書を講ずるを要す。」など、15項目が紹介されていた。
大正当時のカタカナで書かれると読みにくいけど。ひらがなにしてみた。
牧野富太郎著 植物研究雑誌 第1巻六号 大正6年(1917年)からの抜粋とのこと。

中でも、最初の「忍耐」も、「書籍の博覧」も、「洋書」も含め、
手元にある書物は一通り通読することを勧められた点は反省することしきり、
「書を家とせずして友とすべし」も、
書の内容を身につけることが自分の身になるだけでなく、
専門分野における常識を持つことの大切さがあることと読んだ。
そして、
「造物主あるを信ずるなかれ」 という文言には、感激せざるを得なかった。
見たもの聞いたもの、手にしたものがすべて
神様、仏様、創造主に信心してしまうことに帰結してしまうと、
真理があることを解明できず、
世の不思議もあれば、それを創造主の行為として、
不思議の発見につながらないという思考停止の点の指摘は考えさせられるものがあった。

植物を例にすれば、なぜ、葉っぱが細長くではなく、丸っこい形状とすれば、
普通の植物と違った相違点を、その違いは、神様、仏様の御心としてしまえば、
なぜそういう変化をその植物が獲得したかの解明ができないという面での指摘はすごいと思う。

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ことばの変化 金子みすゞ [小さなひととき]

『金子みすゞ童謡全集』を何気なく開いてみた。
どの詩もなんとはなくに、もの悲しいことばが見出された。
ふらっと開けたページには、
「女の子」(空のかあさま 146ページ)
金子みすゞ著 矢崎節夫監修 金子みすゞ童謡全集 JULA出版局 2022

が載っていた。木のぼり、竹馬遊びなどを歌う。
金子みすゞが生きた時代は明治、大正、昭和初期の時代。
価値観というべきか、性差というか、ものの見方は、現代以上に限定的なものに生きた。
「女の子」というのは、していいこととしてはいけないこと、何かしらの制約があったのだろう。幼いころの記憶を固定していることを、素朴に表現している。

以後、それ以上の遊びや常在座臥というものには、自己制御がかかってしまって
自発的なものはなく、ツボの中を覗くのとは、反対方向の視線になったのかもしれない。

パラパラとみている間に、全部見てしまった。
今の時代に生きていたら、と思うけど。

「野茨(のばら)の花」(波の子守り唄 435ページ)

この後半の詩は、土の上に落ちた花びらを、優しく包むようにしていた。
そのことがかえって、茶色く枯らしたことを、感情を加えずにうたう。

こちらのことばには、中途半端な同情はむしろ危ういものにしてしまう。
見ている側が、しまったと反省する。
枯れるにせよ、今が一番大切な時間、と気づかせるものがある。

「まり」 (空いろの花 294ページ)

「まり」を探した「町の子」は、いつしか空に。
正直、モノなのか、ヒトなのはか、判別しかねたが、
人生至るところに青山あり、か。

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ことばの変化 石川啄木 [小さなひととき]

「こころよく
 我にはたらく仕事あれ
 それを仕遂げて死なむと思ふ」 我を愛する歌(13ページ)
石川啄木著 石川啄木詩集 角川書店 1968 抜粋

「東海の小島の」で始まる歌集「一握の砂」の中に収められている20番目に位置する詩である。
今でいう安定した仕事、仕事を斡旋紹介する業務が認知されていなかった時代と思う。
きちんとした仕事にありつけたのならば、それを一生涯の仕事として、自分の人生をかけて、
取り組もうという、そのこころのけなげさをどう受け止めて良いだろうか。

「酒のめば悲しみ一時に湧き来るを
 寝て夢みぬを
 うれしとはせし」 (85番目) 忘れがたき人人(一)(88ページ)

昭和のはじめだろうか。啄木は明治19年生まれだが。
故郷より遠く離れた職場で、さまざまな思いで、
酒を飲む。また、飲み交わす。
自分の感情を抑えきれず、涙することもある。
飲んで飲んで明けた朝の思いは、酒は、自分に何を残してくれただろう。

歌集「悲しき玩具」より
「眼閉ぢれど、
 心にうかぶ何もなし。
  さびしくも、また、眼をあけるかな。」(2番目)(124ページ)

啄木の歌は、悲哀を与え続けることばばかりなのだろう。

「新しき明日の来るを信ずといふ
 自分の言葉に
 嘘はなけれどー 」(29番目)(129ページ)

時代から、田舎や海外から来て、故郷にいる家族のために毎日働いて働いて、
でも、苦しいからといって、それを放り投げて、別の仕事につこうにも、
自分の明日を信じられない。
今の仕事が、なんとか自分を助けてくれる。
きっと違いない。そう信じて働く人の気持ちをまるで写したかのよう。

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ことばの変化 荻原朔太郎 [小さなひととき]

楢、檜、山毛欅、樫、欅の類
枝葉もしげく鬱蒼とこもっている  「華やかなる情緒」(90ページ)

白菊の花のくさったやうに
ほのかに神秘なにほひをたたふ。  「夢」(92ページ)

けぶれる竹の根はひろごり、
するどき青きもの地面に生え。   「竹」(14ページ)

松の梢に光らして、
かなしむものの一念に、      「笛」(17ページ)

とある寂しい木陰に椅子をみつけるのが好きだ、
ぼんやりした心で空を見てゐるのが好きだ、  「さびしい人格」(41ページ)

松林の中を歩いて
あかるい気分の珈琲店をみた。   「閑雅な食欲」(80ページ)

私は貧乏を見たのです
このびたびたする雨気の中に    
ずつくり濡れたる 孤独の・・   「厭やらしい景物」(84ページ)

こころをばなににたとえん
こころはあぢさゐの花       「こころ」(144ページ)

ふらんすへ行きたしと思へども   「旅上」(145ページ)

一つひとつの詩の旅情にこころを落ち着かせてしまうことをしないまま、
詩のことばの中にある情景を、詩人のことばとともに辿る。
植物たちに気をとめ乍ら、旅びととなる。

目にしたものが、自然、神仏を感じることもあるし、
目に入る建築物や置物に、気持ちをおいたときに、
誰もがとはいわないが、何かしらの情念を思い起こす。
そして、自分を見つめ、そして、こころは彼の地に。

水の流れはやくして
わがなげきとむるすべもなけれ   「利根川のほとり」(149ページ)
荻原朔太郎著 西脇順三郎編  荻原朔太郎詩集 白鳳社 1965 抜粋

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ことばの変化 ロダン [小さなひととき]

「深く、恐ろしく真実を語る者であれ。
自分の感ずるところを表現するに決してためらうな。
たとい既成観念と反対であることがわかった時でさえもです。
おそらく最初君たちは了解されまい。
けれども、一人ぼっちであることを恐れるな。
友はやがて君たちの所へ来る。
なぜかと言えば、1人の人に深く真実であるところのものは、
いっさいの人にもそうであるからです。
しかし、色目はいけない。公衆の目を惹くため、しかめ面をしてはいけない。
単純。率直!」
(ポール・グゼル筆録の段落より)
高村光太郎訳 ロダンの言葉抄 岩波書店 1960 292ページ
 高田博厚、菊池一雄編者

このことばは、「若き芸術家たちに(遺稿)」の中で、見出されたことばである、という。
このパラグラフに至る前には、
「『自然』をして君たちの唯一の神たらしめよ。」(289ページ)
「画家諸君、やはり現実を奥行で観察せよ。」(290ページ)
「芸術は感情に外ならない。」(同)
「辛抱です!神来を頼みにするな。そんなものは存在しません。」(同)

受け取ることばには、芸術の領域に限らず、人生を歩む人々にとっても、たぶん勇気づけられることばにもなっているような気がするのである。

そして、まだ続く。
「最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである。」(292ページ)
「正しい批判を受け入れよ。」(293ページ)
「勇気を失うな。」(同)

翻訳に用いられたポール・グゼル編「芸術」(1911)のフランス語から抜粋されたことばを編集している。グゼルは、この筆談をロダンに申し入れて、了解されており、1910年ごろの談話である(註より抜粋;295ページ)。

ロダンの人生を反映したことばに、酔いしれてしまいそうだ。
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ことばの変化 中原中也 [小さなひととき]

中原中也の詩といえば、
「汚れちまった悲しみに」とか、
「幾時代かがありまして茶色い戦争ありました」とかが教科書に掲載されていたと思う。
ちょっと違和感があって、逆に覚えてしまう印象にもなった。
それに、最後のフレーズ「ゆやゆよん」がなんともユーモラスであったから。
詩人の心象風景を少し取り入れてうたうと説明していた気がする。

幾年かを過ぎ、改めて中原中也の詩とその解説書を手にしてみると、
なんとも壮絶なものを感じるのも、詩が暗示するものと共鳴する世代になりましたと
いうことかもしれないと、怖くなる。

ことばの選択で
「天才にあつて能才にないものは信仰であらう。」ということばは、
天才、秀才、鬼才、奇才、凡才ということばの中で、
能才とは、才能の逆の語順のことばになるかもしれないけれど、
能力のあると言われる人という仮の名詞を与えたとしても、
その切れ味は、まことに爽快そのもののような気がする。

それに続くことばは、
「信仰といふものは、恐らく根本的には、『永遠』の想見可能能力であろう。
能才の著述というのは、おつとめであり、
天才のそれは、必至のことである。」(203ページ)

解説する分銅惇作はいう、
「ところで必至のそれは、忘念してゐられ易いのだ。
それは恰も死があんなに恐れられてゐ乍ら、
あんなに忘れてゐられるのに似てゐるかも知れぬ。」(203−204ページ)
そう、死は、恐れ怖がられ易いにも関わらず、すぐに忘れられてしまう。

「幼年時
私の上に降る雪は
真綿のようでありました
少年時
私の上に降る雪は
・・・(省略)」(37ページ)
分銅惇作著 中原中也 講談社現代新書  1974

そして、今、怖いなと思うのは、我が身をかえりみて
「私の上に降る雪は」に続くことばを実感してうたうことだろう。
(「生い立ちの歌」より抜粋)。

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ことばの変化 孟子 耳 [小さなひととき]

”孟子がいわれた。
『まったく思わぬことで褒められることもあるし、
その反対に、万全を期して立派なことをしているのに、
かえって非難を受けることがある。まったく世間の評判は当てにならぬものだ。』”
(原文:孟子曰、有不虞之誉、有求全之毀。)

”孟子がいわれた。
『世間の人の口の軽いのは、(自分のことばに対して)責任感がないからだ。』”
(原文:孟子曰、人是易其言也、無責耳矣。)
小林勝人訳注 孟子(下) 岩波文庫 1972  51P
孟子 巻第7 離婁章句下21と22から抜粋

中国の古い時代の書から、このような言葉を拾い出すとは、予想もしていなかった。
この直前にあることばには、
『君主さえ正しければ、国じゅうみな正しくならないものはない。それゆえ、大徳(徳の高い人)があって、ひとたび君御一人を正しくされすれば、国は正しく治まるものだ。』とある。
(原文:『君正莫不正、一正君而国定矣』)
こうした世の中のこと、あるいは周囲のことを見るにつけて、
孟子は、物事のありようをよく見て、風評やいろんな論説を注意深く受け止めよと言っている。
誠にことばとは奥深いものがあり、これを丁寧に訳することができるようになりたいものだ。

最初、無責耳を「耳(聞いたこと)に責任が無い。」という流れで理解したが、
耳とは「のみ、だけ」という限定する表現とのこと。責任が無いだけ。

百聞は一見にしかず。ということわざに近いかなと思ったが、
辞書を引いてみると、耳と目を使ったものに、以下のようなものがあった。
「耳听是虚,眼见为实」耳で聞いたことは空虚だが、目で見たことは事実なりと。
(人から聞いたものはあてにならないが、自分の目で見たものは信用できる)
という意味のことばを見つけた。まあ、確かに。

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ことばの変化 舜の業績孟子から [小さなひととき]

「孟子」に記載される舜の実務面での内容を拾い上げてみた。
小林勝人訳注 孟子(上・下)岩波文庫 1968

尭、舜の時代は、都市どころか、人の居住地も安定せず、田畑もない未開拓の土地が広がり、治水も整っていなかった時代とみる。

「尭のときには天下はまだ穏やかではなかった。」
雨が降れば、大水は所構わず溢れ出て、国中に氾濫した。
草木はボーボーと生い茂っていた。肝心の穀物は収穫できていない。
禽獣はやたら繁殖してはびこり、人に近づき危害を与えていたし、人が住む場所中にも禽獣が出てきた。 どこの国?という感じですが。

「舜は、伯益(舜の重臣)に命じ、火をつかさどる役人にした。」
伯益は、最初に、山や沢の草木に火をつけて焼き払い、禽獣は恐れて逃げて隠れてしまい、禽獣による被害は除かれた。
人が住む環境を、焼き畑などで整備した。勝手に火をつければ、火事になるし、これをコントロールする技術なり、権威がないと勝手にはできなかったのだろう。

舜は、禹(尭、舜の後継、舜の重臣)に命じて、治水をつかさどらせた。
禹は、黄河の下流にある9つの川を整備した。例えば、
済(せい)水、漯(とう)水の水は、浚(さら)して、東海に流した。
汝(じょ)水、漢(かん)水は、水路を切り拓いた。
淮(わい)水、泗(し)水は、土砂を浚して、その水を揚子江へ流した。
これにより洪水の危険をなくし、治水、灌漑で農産物への水とした。

舜は、棄(き、舜の家臣、後に周の開祖となる)に命じて、后稷という農務の長官にして、穀物の植え付け(稼)、取り入れ(稷)の方法を教え、五穀を収穫させた。これにより、人民は飢える心配もなくなり、安心して生活をすることができるようになった。

舜は、契(せつ、舜の家臣、後に殷の祖先となる)に命じて、教育をつかさどる司徒の官職につけた。人民に人間としての道を教え、親子の間には親愛を、君臣の間には礼儀を、夫婦の間には区別を、長幼の間には順序を、朋友の間には信義があるというように教育していった、という。
尭は、人民をいたわり、力の足らないものには庇い助け、自然に人の道を悟らせ、救済していった。
舜は、適材適所の人材を登用し、天下に君臨しながらも、実務は賢臣に任せて、自らはなんら政事にあずからないと言って、褒め称えられたという。
( 滕文章句上4から抜粋)

ふと思うのは、君臨すれども統治せず、みたいな感触で、治世ができていた時代があったということだろう。
尭、舜の時代は、理想のようなイメージがあるのかということを、「孟子」の中にある逸話を少し細かく項目ごとに拾い上げて、初めて把握できたような気がした。
より詳細な事実関係や歴史は他の書籍に目を向けてもよいかもしれない。
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