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ことばの変化 怒りについて セネカ [まえがきからの啓発]

”怒りは、セネカが執拗に描くように、心をかき乱し幸福を損ねる情念(パトス)の筆頭であり、だからこそ根絶しなければならない。”
兼利琢也訳 怒りについて 他二篇 セネカ著 岩波文庫 2008 あとがきより

人が破綻するきっかけは、金、異性、酒、そして怒りである。権力、名誉もまた、人を破壊する要因となる。
金、異性、酒にしても、いずれも目に見える即物的なもの。
しかし、怒りという要因は、目には見えない。結果が見える。感情支配そのものと考える。
権力と名誉は、目に見えないが、情報が与えられている場合に、イメージできる。
ということは、人が怒るときには、自分を制止する、あるいは、自己コントロールするトリガー(引き金、留め具)が外れたときに、生じたものとして考えていいかもしれない。

怒りの発生は、自らが心地よいという状況を、第三者的要因によって、強制的に剥奪させられる瞬間に現れる自分の形の一つなのだろう。

訳者は「(セネカのことばで)際立つのは、総督、裁判官、主人といった生殺与奪の機能を備える権力者が権力行使の際に持つべき冷静な心の態度の忠告である」と。
セネカは「怒りとは、不正を受けたことに対する報復の欲望である。そして、情念は、心身の反応ではあるものの、個人の内部に留まらない、怒りは欲望の一種である。」(91ページ)と定義している。
この「不正を受けた」の英文は、”unfairly harmed”。(公平ではない状況で危害をこうむった)とすると、機会均等、公平、公正、正義が通用せず、をきっかけとする感情ということだろうか。
セネカは、当時の暴君、皇帝カリグラの脅威を身に感じ、後の皇帝ネロを教えた教師セネカゆえの冷静な忠告を、世に残したのだろう。

「怒りはあらゆるものを、至善至誠のあり方から正反対へと変貌させる。誰であれ、ひとたび怒りに捕えられた者はいかなる義務も忘れ果てる。」(90ページ)
怒りを発露させた後の結果を審判するときに、その成果物を見たとき、「善き審判人は、許すまじきことを断罪するのであって、憎むのではない。」

一方、本書に引用されたアリストテレスは、「怒りは必要である。それなくして、戦闘は不可能である。それが心に充満し、精神と意気に火を点けるのでなければ無理だ。ただし、指揮官ではなく、兵士として用いられなければならない。」セネカは、「これは誤っている」とする(104ページ)。私見ながら、怒りのきっかけが、不公平に扱われ危害が及んだことを、兵士の動機づけとするには、少し無理があるかもしれない。

人生や歴史の中での「怒り」を考えるにしても、古今東西の歴史で、個人の問題もあるだが、例えば、アメリカの事例なら、南北戦争に関わったリンカーンの思いはいかなるものであったか。中国の三国志の登場人物、日本の関ヶ原での人物の思いを、古文書を紐解くことはできないから、表情豊かな文学書を通じて、怒りとどう結びついていたのかを考えてみたいとも思う。

三木清の「人生論ノート」で、怒りについて、考察をしている。
「神の怒り ー キリスト教の文献を見るたびにつねに考えさせられるのはこれである。なんと恐ろしい思想であろう。また、なんという深い思想であろう。神の怒りはいつ現れるのであるか、ー 正義の蹂躙された時である。」(人生論ノート 角川ソフィア文庫 58ページ)
神の怒りとは何であったか。
「神の怒りは、正義を蹂躙されたことが原因。」
書の中に、怒りのきっかけを解く。怒りを種別化する。怒りを鎮める方策も提示している。怒りは、復讐心として、永続する力に変わることを警告する。

怒りという情念をどう定義し、また、その情念をどう位置づけ、そして、どのようにコントロールするかを説明している。地位、立場によっては、怒りの発露は許されても、その結果によっては、その裁定を受けることにもなる。
現代社会での個人のありように基づいて、「怒り」を考えてみなければならないだろう。

セネカはいう「 むしろ、君は短い人生を大事にして、自分自身と他の人々のために穏やかなものにしたらどうだ。むしろ、生きている間は、自分を皆から愛される者に、(そして)立ち去るときには惜しまれる者に、したらどうか。」(262ページ)
このことばは、怒りを抑えるトリガーとなるかもしれない。

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ことばの変化 論語と易経  [小さなひととき]

孔子の人生が、易経に重なる?!

孔子の人生を念頭に置き、易経の乾為天(天下天上)を閲覧したときに、ふと、この易の爻(こう)がその人生に重複して見えた。

占いで、爻(易の卦を表す横線)が3つ1組で、卦(占いに使用される記号;8種類、上下で64卦)に分かれる。この卦を用いて、自然界、社会、人事のあらゆる事象を象徴する。
最初の卦が「乾」であり、龍に譬えて表現している。
初爻 二爻 三爻 四爻 五爻 上爻 と記載すると、
易の卦で、下からの項目が、物事の最初(初爻)を含意し、
一番上にある項目が、物事の終末(上爻)を含意する。

思うところを記載する。易経の乾と論語の学而を重ね合わせる。
乾         当てはめたこと
初爻(初九)潜龍  孔子の15 志学  変爻 乾→姤
二爻(九二)見龍  孔子の30 而立     乾→同人
三爻(九三)    孔子の40 不惑     乾→履
四爻(九四)    孔子の50 知命     乾→小蓄
五爻(九五)飛龍  孔子の60 耳順     乾→大有
上爻(上九)亢龍  孔子の70 従心     乾→夬
  (用九)群龍               未詳

私見となるが、
自然界、人生のすべての事象を時間軸で捉えたとき、
孔子の人生を、易経の最初の卦となる「乾」で推しはかるのがわかりやすい。
最初の年齢ごろ(15)までなら、地に潜む龍のごとし(潜龍)。
世に出てきて、周囲に認められるようになると、その龍の姿を目にすることができる(見龍)。
しっかりと働き出して、自他ともに自信にみなぎる間は、大きな難関も超えていくだろうし、そこに人生で、惑うことはないだろうし、それを自らの運命として位置付けてもよく、60までには、まさに飛ぶ鳥(龍)のごとし。
されど、70近くになると、さてさて、矩(のり:規則、決まりごと:転じて、自然の力・法則)に耳を傾け、天寿を全うするのがよしと知るべきか。
孔子の人生は、易のいう、その自然な流れを全うしたのかもしれない。

孔子は、繋辞上で「乾」の項を見ると、易の役割を伝えている。
「乾の働きはそれ自体が、健 ー創造的ーであり、動いてやまない。従って、乾の知(つかさど)る創造ということも、何ら阻害されることなく、容易に果たされる。」(261ページ)
「人間の行ないも、乾のようにたやすく自然であれば、その心は明々白々、何人にも知りやすいものとなる。」(262ページ)
本田済 易下 中国古典選1 朝日新聞社 261−262 1978

人生のところどころで、山あり谷ありの事態には、変じた爻の卦を見て、参考にしていたのだろう。
40、50で龍に例えた記載は、これまでにあるのだろうか。それらしいものはあっても、確定せず。
孔子は、易の辞で九三(40)の意を、「君子進徳修業。」とし、「君子(リーダー)は、人徳を磨き、業績を積み重ねる」ことだとの意味合いを示し、
九四(50)の意を「上下无常。非為邪也。進退无恒。非離群也。」とし、超訳すれば、「組織の上に媚びたり、下に合わせたりして、悪いことをしようと意図しているわけでもない。進退にしても、変化を求めているわけでもなく、組織(群れ)から飛び出して何かしようというのは、時期尚早で、組織から離れることなく、業務に勤めよ。いずれその差配が信用につながる。」と、飛躍する機会をきちんと見極めよと、受け止める。

自分が占いをするとき、世の中の変化に左右される我が身を考えるには、この向きで考える。

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ことばの変化 論語 為政第二 [小さなひととき]

「論語」を見ていると、孔子が年老いて、自身の人生をふりかえり、弟子がまとめたという論語のことばがふと気になった。
「子曰、吾十有五にして学を志す、三十・・四十・・・。」という有名なフレーズ。

講師は68歳で故郷に戻り、73歳で生涯を終えるまでの5年間は、弟子の教育と古典の整理に専念したという。礼記、書経、易経、春秋などの書を現在の形にまとめたのは、この時期の内容だという(史記孔子世家)。

晩年になって、ご自身の生涯を振り返ったのであれば、「15にして学を志す。」という現在形での記載よりは、「15には学を志した。30には立ち上がった(而立:自立)。」というように過去形での記載が素直に心に入ってくる。

情報が発達した今日、それこそ10代後半には、マスコミで活躍する人たちの姿を目にする。
例えば、ピアノを15から始めても違和感はないが、小さい頃から触れたので、演奏も上達して、今にあるという感じ。学業にしても同じかも。
孔子の小さい頃、「論語」の書物が世の中にないのだから、自分というよりは周囲の人が教えたり、差し出す機会やものがないと、勉強にはなりにくい。孔子は、祭礼の礼儀所作に通じていたようだ(史記孔子世家)。

論語の中で、貧しい少年時代を過ごしたことを語る。
「あなた(子貢)の先生(孔子)は、どうしてあんなにいろいろな才能をお持ちなのですか」の大臣から問いに、孔子は、「どんなにつまらない仕事(鄙事:ひじ)でもやってきた。貧しかったから必然的にそうなった。」と、弟子の子貢に話している。(論語子罕第九)

15から学問をしようとしたのではなく、15までに学問に専念してきた。スポーツであれ、音楽であれ、読み書きそろばん、古式ゆかしい伝統継承の類を頑張り、頭の整理をし、ものの理屈なりを理解したと考える。

15以降は、職を求め、与えられた職を忠実にこなし、皆からの信頼が得られるように30まで頑張ったところ(而立)、世にいう自立した生活を過ごせるようになったと読むべきかもしれない。とはいえ、当時は動乱の世の中、そう安楽な生活ができたとはいえないかも。
この年代のエピソードは、論語の解説書にも説明されているのが印象深い。

足場を確保してからは、40にはまよわず(不惑)、我が道をいくと、自分の人生を振り返り振り返り戸惑うこともなかったに違いないだろう。
50には、自分の人生を見て、天が与えた使命を全うし、我が人生に悔いなかったから、「知命」としたのだろうし、
60には(耳順)、人々が問いかけたり、投げかけることばや、やっていることを素直に受けとめ、その命題の本質を言い当てることができたのだろうと思う。苦労は苦労で絶えないだろうから、年齢に合わせたエピソードを辿ってみるものおもしろい。

70には自然体に任せて、日々を過ごし、73までの天寿を全うするまでは、自分が構築した人生と信頼関係を壊さない中で、生き生きと過ごされたことが、矩(のり)を踰(こ)えずということばで、くくられているのだろうと推測される。
世の書には、その年からの経歴が語られることが多いが、当時にしては寿命が長く、その秘訣を知りたいと思う。史記の孔子世家をみる。

孔子の人生を念頭に置き、易経の乾為天(天下天上)を閲覧したときに、ふと、この易の爻(こう)がその人生に重複して見えた。

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ことばの変化 史記 別冊 [まえがきからの啓発]

”経済面 戦争が長期化すればするほど、人的物的補給が必要となる。この点に関しては蕭何の存在が大きかった。彼は関中における後方建設を一手に引き受け、生産拡大に努め、漢軍が破れるたびに、兵を補充してきた。楚側は、後方建設どころか、彭越軍に絶えず悩まされ、補給路を絶たれることさえしばしばあった。”
和田武司+山谷弘之訳 史記(IV) 逆転の力学 徳間書店 1988 解題より

” IV 幕下の群像 一 補佐役の身の処し方 蕭何
蕭何は一度も戦場に立ったことはなく、もっぱら内政面で漢帝国の創建に貢献した。
かれは高宗 劉邦から最も疑われる立場にありながら、最も厚い信頼を得た。”(251ページ)

この文章の後、蕭何の業績や履歴が記載される。
漢を立ち上げた劉邦との出会いから、その前後での蕭何のひととなりや業務の遂行の仕方、また、劉邦が挙兵をした後も事務を取り仕切った。そして、劉邦が秦を討って咸陽に一番乗りしたときに、蕭何は「もっぱら秦の丞相・御史の法令や文書を手に入れ、保管した」とある。それがその後、漢を司る上で、国の重要拠点、人口、戦力なども把握でき、治世に生かした旨の記述が見られる。

その後、蕭何は多くの職位、褒賞を得ることになるが、劉邦から不審を買わぬように振る舞う様は、感嘆に値する内容かと思う。この書には凝縮された内容でわかりやすく紹介されている。

近年の各地で起こる紛争にしても、一国での財政では賄いきれず、他国の支援を受けながら、争いを続ける状態を目にする。目論見通りにいかないこともあるのだろう。冒頭にあるように、終わりの見えない中、長期化に備えた思慮ある行為の有無がなかなか見えていない現実。
これは、史記という書物に明記する司馬遷の注意書きが目に映らないということかも。
史記が英文など海外の言語に翻訳されていないかを調べてみたいところである。

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ことばの変化 貞観政要 全訳 [まえがきからの啓発]

”『貞観政要』全10巻40篇は、唐王朝(西暦618〜907)の第二代皇帝太宗の言葉と、太宗が臣下と話し合った議論とを書き綴った書物である。会話だけでなく、太宗の詔勅と臣下の上奏文も多数含まれる。”
呉兢 石見清裕訳注 貞観政要 全訳注 講談社学術文庫 2021 はしがきより

さあ、困った。引用したら面白いかもという文章が多すぎて、導入部しか書き出せなかった。
考えてみれば、自分が会社組織にいて、この書の皇帝に相当する社長に対して、どのような業務を担っていたか。これを見直してみて、貞観政要の中のどの項目に該当することをしているだろうかと考えた。

やったことはといえば、御注進はもとより、各案件の決裁を仰ぐやら、始末書・顛末書の提出というのでは、役務にはほど遠い。普通に話し合いました、でも、面白みもない。依頼とか、指示を受けたことを遂行しましたというのも、新鮮さもない。
この程度では、この種の項目が、この書のどの項目に当たるかという議論にも及ばない。

上記の「社長のことばと、社長が役員・従業員と話し合った議論とを書き綴った」ということばをヒントにすると、社長個人案件の話は別として、社長が会社に入る前からの準備と帰った後の業務手順や出張、面会、接待なども含めた内容を、100ページ以上にわたって書き出し、役員・従業員が何をどうするのか、その業務結果をどのような形で残し、そして、報告・相談・連絡し、決裁を仰ぎ、それをどう記録するのかを文書としてまとめた。この書類は、貞観政要にあるように、皇帝には見せず、その業務を担う上長に引き継ぎ、手抜かりなく、成果とする手順書(マニュアル)としてまとめたことが、役務の一つだっただろうか。

この役割と似ているのが、「巻七 文史 第二十八」の中の「起居官」(562ページ)や「礼楽 第二十九」の「尚書」(580ページ)になるかな。
言い換えれば、皇帝のすることを良くても悪くても、行住坐臥一切を書くという点と、事柄を記録として文書化した担当者というところだっただろうか。

少し書けば、春夏秋冬、居室から出入りする廊下の温度湿度、照度の管理もさることながら、朝昼夕間食飲み物の一切、決裁案件の準備とその資料及びその指示事項とその記録、会食接待にあっては、その内容、時間配分、出席者、その後の礼状の書式とその内容に至るまでを事細かに記録している。それが次回以降の凡例になったりする。会社業務に至っては、人も含めて祭礼のお飾りや供物の種類と配置まで全て図面入り、写真入りで記録し、年中行事の遂行には困らないようにした。
最近、将棋の対局場の画像や記事が流れるようになって、同じようで、当たり前のことと思う。

本当?と言われそうだが、これが後任担当には程よくありがたいものである。
なぜなら、雑事を考えなくていい。課題となる案件に集中できるから。
会社組織じゃなくても、官庁でも残されている指示書と同じになるかもしれない。中国なら尚更かも。しかし、それを持ち歩くことはしない。門外不出として扱うのは普通のことかも。
貞観政要には、そうしたことも記載されているから、ワクワクドキドキしてしまう。
ある方が曰く、ここは北朝鮮と同じだ。気を抜くな、と。
生き死に、がかかっているからだろう。

「貞観政要」をビジネスキャリアパーソンとして、活躍するための指南書として受け止めるだけでなく、全訳をあえて見るのも、歴史というものを感じさせるし、組織を構成する小さな部署や隠れた業務にも目が行き届く参考書になるのかもしれない。

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ことばの変化 貞観政要 [まえがきからの啓発]

”僕は、価値観の押しつけが大嫌いです。価値観や人生観は人それぞれ固有のものですから、
他人がああしろ、こうしろと強制することは本来的にできないと思っています。”
出口治明 座右の書『貞観政要』 角川新書 2019 はじめに

著名な著者が座右の書として、大切にされていた書ゆえの解説であり、
素直に読み出せるところがすごいなあと思うし、内容もまたすごいと思った。

家庭にせよ、グループにせよ、その組織を取りまとめるには、きちんとした恒常性がないことには、
治るものも治らないというのも、孔子のことばにもある通りだと思う。
「はじめに」だけでも読んだだけで、この書の虜(とりこ)になってしまったのも自然なことだろうと思う。一気に読めてしまう。一読する価値のある書だと思う。

この書が教示するところの一つは、著者が「おわりに」で書かれているが、
「これからのリーダーに必要な力とは」、4つの力が必要で、その中の一つ、「強く思う力とは、やりたいことがはっきりとしていること。ヴィジョンがあることです。」(258ページ)という。
他の人を巻き込む以上、共鳴できるものがなければ、道はなかなか通らないからこそ、と思う。


貞観政要の全訳注は、別の出版社から出されている。日本語訳は平易でわかりやすい。
(呉兢 石見清裕訳注 貞観政要全訳注 講談社学術文庫 2021)
上記の書を見た後、同じ項目を逆引きしていたりする。

全訳の著者によれば、「『貞観政要』と聞くと、唐の太宗が立派な言葉を述べ、その謙虚な態度に臣下が応えるという、理想的な政治のあり方が記されている書物と思うのではないだろうか。確かに、そのようなことは書かれている。それは事実である。(中略)しかしながら、太宗がそのような姿勢を見せるのは、貞観一桁の時代のことである。貞観十年を過ぎると、太宗は怒りやすくなり、…(略)」とあとがきに述べている。
所期の目的を達した後で、時間が許せば、両方の書を読むのも良いかもしれない。
ビジネスで、表と裏も視野の中にあるという視点は、蛇足になるかなあ。
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ことばの変化 易経 [まえがきからの啓発]

”『易』がもと何であったか、でなく、『易』が古来の人々にとっていかなるものであったか、を問題にしたい。”
本田済 中国古典選1 易(上) 監修吉川幸次郎 朝日新聞社 1978  解説より

”『易』は第一に占筮(うらない)のテキストである。古代中国では国の大事を決定するにに、多く占いにたよった。”(解説6ページ)

私事ながら、占いをしようとすると、コイン6個を準備する。卦を占った後は、易の本をパラパラとめくり、一読すると、なんとなくわかった気持ちで、そのページを閉じていた。

『易』を読むと、孔子のことばが添えられている。
状況としては、易の卦(け)のことばの意味はどういうことですか、と問われて、
それについて、丁寧に註釈を与えたものと推測する。
孔子のことばは、繋辭上傳、繋辭下傳にて、易経の哲学的意義を解いている。

この解説書の中で、一番身に染みたのが、孔子の次の警句であった。
”自分に味方するものが一人もいないようでは、自分を害しようとするものがやってくるだろう。”
(易(下) 繋辭下 330ページ)
この文言の前には、”君子はその身を安らかにしてから行動し、その心を平らかにしてから民に語りかけ、人民と誠意の交流ができてから要求する。君子はこの三つのことを修めるが故に、安全である。
反対に、その身危ういままに行動すれば、民は味方しない。”と。

君子というわけではないにしても、何事につけ、なんらかの責任を持って、業務にあたる上では、身の処し方を理解し、言い換えれば、物事の断りや理論武装など、気持ちの整理をした上だけでなく、周囲にいる人々との意思疎通をはかり、自らもまた誠意をもった交流を心がけることができないと、さすがに自分一人でのことであれば、いずれ自分に危害が及ぶ、と読み取ったわけである。

頻繁ではないにしても、迷いの時に、易を開き、自分が置かれている状況を把握する。
風雷の「益」上九を開けると、このことばに行きあたることになる(98ページ)。
あたるあたらないは別としても、教えられるところは多いように思う。


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ことばの変化 史記 [まえがきからの啓発]

”司馬遷の『史記』は、悲劇を描くことに手厚く、その背景には司馬遷個人の「発憤著書」の思いがある。”
渡邉義浩 十八史略で読む 史記 朝倉書店 2016 はじめに より

「始皇帝の中国統一」や「項羽と劉邦」といえば、ワクワクする内容であることは、確か。
どこを読んでも、想像力豊かに読み進められると思うのも誰しもの思いかと。

けれど、四面楚歌は悲劇で、項羽の句「虞や虞や若(なんじ)を奈何(いかん)せん」のことば(130ページ)は、感涙シーンと推測する。

劉邦が国を統一し、漢という国を立ち上げてから、立国に功績がある忠臣を粛清する内容も含まれており、これも悲劇と映るし、歴史の複雑さを示する題材とも言える。
現代世界に目を転じると、同じ?と疑うような事件が意外にも散見されるのも事実かと思う。

”大風の歌  
大風 起りて 雲 飛揚す
威 海内に加はりて 故郷に帰る
安くにか猛士を得て 四方を守らしめん”
漢高祖 劉邦の心境を歌ったものとして、紹介されている(156〜158ページ)。

望郷の地にて臨む歌とは思わないし、故郷は遠きにありて、でもない。
その地にあって強く望む意志の表れにも受け取れよう。

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ことばの変化 リスクを考える [まえがきからの啓発]

” 日本の社会は格段に安全になっているし、本書でもいくつか紹介していくとおり、それを支える制度や仕組みもできている。他方、今もこの事件を振り返ってみて、同種のことが繰り返されているという、ある種の既視感も抱く。同じように企業の不祥事はあるし、事件や事故もなくなるわけではない。人間の行動は変わらないと思うこともある。”
吉川肇子 リスクを考える「専門家まかせ」からの脱却 ちくま新書 2022 はじめにより

「はじめに」の中で過去の事例に触れているのは、ワインに含まれていた有毒物質を扱った事件のことである。著者が「リスク・コミュニケーション」という視点を持って、リスクというものをどうとらえ、どう考えるかを提示し、広い意味の、日本独自の文化を観察・解析する力(パワー、ノウハウなど)を持っておられるような気がする。
学習によって身につくものならば、遅くても、きちんと学習しておきたいと思う。

第1章と第7章から関連したような、ことばの引用になるが、意義深い気がしている。

「日本は『災害大国』といわれるが、自然災害に関するだけでも、台風、地震、土砂災害、火山の噴火、洪水、竜巻、雪害など様々なものがある。」(16ページ 第1章リスクを知る)

「最初に日本は『災害大国』だと述べた。だからこそ、少なくとも自分が住んでいる地域の災害の歴史や、災害の可能性については知っておきたい。また、教訓も残されていないだろうか。できれば1人の体験だけではなく、複数の人の体験も学んでおきたい。複数の人が同じように述べることに、災害による被害を減らすヒントがあるはずだからである。」(230ページ 第7章
リスクを共有する)

そして、「災害」に限定したものではないが、この章で示唆深い指摘を見出した。
「3 『想定外』はなぜ起こるのか。
組織の事情から都合の悪い結果を却下するだけでなく、リーダーや決定権を持つ人が自分が考えたくない想定を拒否することもある。」(221ページ)

そう、「想定外」ということばには、予め「想定」した内容があるのだろうが、その内容に触れると、思考停止となる場合があるという指摘に触れたとき、まさに「想定外」だった。
このような感想が相応しいかは、この書を再読する必要があると思う。
聞いても、そのまま受け流して、さらにその奥にある背景を考えなかったことを反省したい。
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ことばの変化 人生論ノート [まえがきからの啓発]

”この書物はその性質上序文を必要としないであろう”
三木清 人生論ノート 角川ソフィア文庫 2017 あとがきより

三木清の人生論ノートは、23のテーマが掲載されている。
人生論の中で、「人生について」というテーマはないと思う。いや、設定しにくいと思う。
はじめにや序文などのまえがきで書けば、それがそのまま人生論を語ることになってしまうだろうから、唯一まえがきのないものが人生論の書ではないかと思う次第である。

ここでのテーマは、
人生の中で、めぐり合う事柄(具体的なもの)や概念(抽象的なもの)をそれぞれどのように定義づけをしたり、解説したり、意義づけたりするのかが試みられていると思われる。

例えば、「旅について」を取り上げることがあるなら、
人生の中で、旅が1対1の相対する事柄の一つとしてとらえれば、
人生の中の旅とはなにか。
人生における旅の位置付けとは。
人生で旅をどう扱うのか、あるいは、扱ってきたのか。
人生で旅の意味するところ、その意義づけは何か。
旅で出会った人々は、人生の中でどういう役割を果たしているというのか。
この逆もまたあり。
などなど
と考察を進めるだろうと推測される。

三木清の「旅について」を読んだとき、
文の最後にある一節がすばらしい印象を与える。
”旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。
人生そのものが実に旅なのである。”(159ページ)
これには卓越した知性感性もろもろが込められているような気がした。

旅は旅する人の人生を反映している、とも言えるのである。
この意味が込められた文がある。
”旅は人生のほかにあるのではなく、むしろ人生そのものの姿である。”(158ページ)

休みの日には、どこかへ旅をしよう、と。自分の真の姿に出会うために。

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